2020-02-12 第201回国会 参議院 資源エネルギーに関する調査会 第1号
また、UAEと同様に、アフリカの角のソマリアにも駐留をさせ、さらにはスーダンの領下にありますスアーキン島という、かつてオスマン帝国時代にトルコがここを使用していた軍港がありますけれども、これをリバイズさせたいという、そういう意向も持っておりますので、このようにポジションを考えると、トルコが実はこの領域で一番広い視野を持って行動しているということ、そしてそれは、今現在、トルコとサウジアラビアの関係を見
また、UAEと同様に、アフリカの角のソマリアにも駐留をさせ、さらにはスーダンの領下にありますスアーキン島という、かつてオスマン帝国時代にトルコがここを使用していた軍港がありますけれども、これをリバイズさせたいという、そういう意向も持っておりますので、このようにポジションを考えると、トルコが実はこの領域で一番広い視野を持って行動しているということ、そしてそれは、今現在、トルコとサウジアラビアの関係を見
○辻委員 外務委員の皆さんを前に釈迦に説法だと思いますが、本当に中東情勢、今の現在の、特にシリアを中心とした中東情勢を理解するためには、少なくとも第一次世界大戦、それこそイギリスを中心とした、サイクス・ピコ協定ですとか、フセイン・マクマホン協定、またバルフォア宣言ですとか、いわゆる三枚舌外交を中心とした、列強と当時のオスマン帝国またはアラブ諸国の歴史までひもとかなければいけませんが、そういった大変複雑
ただ、近代の歴史を考えてみれば、これはやはり第一次世界大戦、特に、ヨーロッパと、当時オスマン帝国、中東との関係で制定された、これは当時イギリスが三枚舌外交というふうに批判されたんですが、サイクス・ピコ協定という、この委員会の皆さんだったらもう十分御承知だと思いますが、当時のイギリス、フランス、ロシアで秘密裏にオスマン帝国の領土を分割、割譲する、それが現在の中東の領土の礎になっているのでございます。
私は、今の中東地域というのは、オスマントルコ、オスマン帝国、オスマン朝の崩壊過程がまだ終わっていない段階だと思っておりまして、残念ながら今後もこのような形の旧オスマン帝国の崩壊過程が形を変えていろんなところに出ていくと思っております。 したがいまして、中東湾岸地域もその例外ではないと思っております。
そもそも中東は、今のパレスチナ問題さらにイラク問題に象徴されますように、いずれも、パレスチナにしましてもイラクにしましても元々人工的な枠組み、人為的な枠組みによって作られた国家、地域でありまして、これが紛争の根源になっているというのは、歴史的に見ますと、オスマン帝国という国家が一九二三年に消滅いたしますが、そうした広大な地域を支配していたオスマン帝国の滅亡を経ましても今日に至るまで帝国の解体と再編という
したがって、明治期の日本人はこの条約改正というものを追求するところでは、いや応なくオスマン帝国やエジプトの法制の状況というものを、あるいは裁判制度というものを研究せざるを得なかった。
それからもう一つ、いわゆるイスラム社会の近代化、西欧化というと、私どもの知識でいえば、第一次世界大戦後のトルコ、ケマル・アタチュルクのオスマン帝国崩壊後の国の在り方というもの、近代化、西欧化というものがあるわけですけれども、それがやはりイスラム社会のリーダーたり得なかったと。
一九一五年に、これは第一次世界大戦中のことでありますけれども、オスマン帝国、つまりトルコ国内にいたアルメニア人、アルメニア側の主張によれば二百万人が殺されたと言われております。当時、オスマン帝国、つまりトルコ国内には三百万人のアルメニア人がいたというふうに考えられておりますけれども、そのうちの二百万人が殺されたというふうにアルメニア側は主張しております。
それから、イスタンブールを中心にしましてバルカン半島からアラブ諸国を広く支配しておりましたオスマン帝国も、中央が大分がたがたしてしまいまして、各地で独立あるいは自立の動きが強まっていくと。
それで、二十世紀の初めを考えますと、伝統的な意味でのイスラム世界、それはオスマン帝国ですとか、あるいは南アジアのムガール帝国ですとか、そういうような大きな帝国があって、そういうものがイスラム世界を代表している。
オスマン帝国の時代には、イスラムというのはキリスト教よりもはるかに寛容な宗教であって、例えばユダヤ人は、ヨーロッパからキリスト教の迫害を逃れて、オスマン帝国にみんな逃げてきたわけですね。オスマン帝国の支配地域においては、イスラム教徒、キリスト教徒、ユダヤ教徒、その他のさまざまな異民族、異宗教集団が平和的に共存していたわけです。それはキリスト教世界では到底考えられないことだった。
○鈴木(勲)政府委員 ただいま御指摘の点だけはひとつ弁明をさしていただきたいと思いますが、これは、昭和五十三年度の「世界史」の検定におきます「侵略」についての修正意見を付した点についての御意見ではないかと思いますが、この例は、目次の表記を調査いたしましたところ、「十字軍とモンゴル軍の侵入、オスマン帝国のヨーロッパ進出、西アジアの民族移動とアフリカ・太平洋の分割、日本の中国侵略と抗日運動」というふうに
この例は五十三年度の世界史の検定におきまして、目次の表記におきまして、「十字軍とモンゴル軍の侵入」、「オスマン帝国のヨーロッパ進出」、「西アジアの民族運動とアフリカ・太平洋の分割」、「日本の中国侵略と抗日運動」というように、本文の見出しとなります目次の表記に不統一が見られまして、これらの表記の統一を図るように、これは例外的なケースといたしまして修正意見を付したものでございまして、特殊なケースでございます